2008年10月31日金曜日

二十六

「Kと私《わたくし》は同じ科におりながら、専攻の学問が違っていましたから、自然出る時や帰る時に遅速がありました。私の方が早ければ、ただ彼の空室《くうしつ》を通り抜けるだけですが、遅いと簡単な挨拶《あいさつ》をして自分の部屋へはいるのを例にしていました。Kはいつもの眼を書物からはなして、襖《ふすま》を開ける私をちょっと見ます。そうしてきっと今帰ったのかといいます。私は何も答えないで点頭《うなず》く事もありますし、あるいはただ「うん」と答えて行き過ぎる場合もあります。
 ある日私は神田《かんだ》に用があって、帰りがいつもよりずっと後《おく》れました。私は急ぎ足に門前まで来て、格子《こうし》をがらりと開けました。それと同時に、私はお嬢さんの声を聞いたのです。声は慥《たし》かにKの室《へや》から出たと思いました。玄関から真直《まっすぐ》に行けば、茶の間、お嬢さんの部屋と二つ続いていて、それを左へ折れると、Kの室、私の室、という間取《まどり》なのですから、どこで誰の声がしたくらいは、久しく厄介《やっかい》になっている私にはよく分るのです。私はすぐ格子を締めました。するとお嬢さんの声もすぐ已《や》みました。私が靴を脱いでいるうち、――私はその時分からハイカラで手数《てかず》のかかる編上《あみあげ》を穿《は》いていたのですが、――私がこごんでその靴紐《くつひも》を解いているうち、Kの部屋では誰の声もしませんでした。私は変に思いました。ことによると、私の疳違《かんちがい》かも知れないと考えたのです。しかし私がいつもの通りKの室を抜けようとして、襖を開けると、そこに二人はちゃんと坐《すわ》っていました。Kは例の通り今帰ったかといいました。お嬢さんも「お帰り」と坐ったままで挨拶しました。私には気のせいかその簡単な挨拶が少し硬《かた》いように聞こえました。どこかで自然を踏み外《はず》しているような調子として、私の鼓膜《こまく》に響いたのです。私はお嬢さんに、奥さんはと尋ねました。私の質問には何の意味もありませんでした。家のうちが平常より何だかひっそりしていたから聞いて見ただけの事です。
 奥さんははたして留守でした。下女《げじょ》も奥さんといっしょに出たのでした。だから家《うち》に残っているのは、Kとお嬢さんだけだったのです。私はちょっと首を傾けました。今まで長い間世話になっていたけれども、奥さんがお嬢さんと私だけを置き去りにして、宅《うち》を空けた例《ためし》はまだなかったのですから。私は何か急用でもできたのかとお嬢さんに聞き返しました。お嬢さんはただ笑っているのです。私はこんな時に笑う女が嫌いでした。若い女に共通な点だといえばそれまでかも知れませんが、お嬢さんも下らない事によく笑いたがる女でした。しかしお嬢さんは私の顔色を見て、すぐ不断《ふだん》の表情に帰りました。急用ではないが、ちょっと用があって出たのだと真面目《まじめ》に答えました。下宿人の私にはそれ以上問い詰める権利はありません。私は沈黙しました。
 私が着物を改めて席に着くか着かないうちに、奥さんも下女も帰って来ました。やがて晩食《ばんめし》の食卓でみんなが顔を合わせる時刻が来ました。下宿した当座は万事客扱いだったので、食事のたびに下女が膳《ぜん》を運んで来てくれたのですが、それがいつの間にか崩れて、飯時《めしどき》には向うへ呼ばれて行く習慣になっていたのです。Kが新しく引き移った時も、私が主張して彼を私と同じように取り扱わせる事に極《き》めました。その代り私は薄い板で造った足の畳《たた》み込める華奢《きゃしゃ》な食卓を奥さんに寄附《きふ》しました。今ではどこの宅《うち》でも使っているようですが、その頃《ころ》そんな卓の周囲に並んで飯を食う家族はほとんどなかったのです。私はわざわざ御茶《おちゃ》の水《みず》の家具屋へ行って、私の工夫通りにそれを造り上《あ》げさせたのです。
 私はその卓上で奥さんからその日いつもの時刻に肴屋《さかなや》が来なかったので、私たちに食わせるものを買いに町へ行かなければならなかったのだという説明を聞かされました。なるほど客を置いている以上、それももっともな事だと私が考えた時、お嬢さんは私の顔を見てまた笑い出しました。しかし今度は奥さんに叱《しか》られてすぐ已《や》めました。

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