2008年10月31日金曜日

十六

「私は相変らず学校へ出席していました。しかし教壇に立つ人の講義が、遠くの方で聞こえるような心持がしました。勉強もその通りでした。眼の中へはいる活字は心の底まで浸《し》み渡らないうちに烟《けむ》のごとく消えて行くのです。私はその上無口になりました。それを二、三の友達が誤解して、冥想《めいそう》に耽《ふけ》ってでもいるかのように、他《た》の友達に伝えました。私はこの誤解を解こうとはしませんでした。都合の好《い》い仮面を人が貸してくれたのを、かえって仕合《しあわ》せとして喜びました。それでも時々は気が済まなかったのでしょう、発作的に焦燥《はしゃ》ぎ廻《まわ》って彼らを驚かした事もあります。
 私の宿は人出入《ひとでい》りの少ない家《うち》でした。親類も多くはないようでした。お嬢さんの学校友達がときたま遊びに来る事はありましたが、極《きわ》めて小さな声で、いるのだかいないのだか分らないような話をして帰ってしまうのが常でした。それが私に対する遠慮からだとは、いかな私にも気が付きませんでした。私の所へ訪ねて来るものは、大した乱暴者でもありませんでしたけれども、宅《うち》の人に気兼《きがね》をするほどな男は一人もなかったのですから。そんなところになると、下宿人の私は主人《あるじ》のようなもので、肝心《かんじん》のお嬢さんがかえって食客《いそうろう》の位地《いち》にいたと同じ事です。
 しかしこれはただ思い出したついでに書いただけで、実はどうでも構わない点です。ただそこにどうでもよくない事が一つあったのです。茶の間か、さもなければお嬢さんの室《へや》で、突然男の声が聞こえるのです。その声がまた私の客と違って、すこぶる低いのです。だから何を話しているのかまるで分らないのです。そうして分らなければ分らないほど、私の神経に一種の昂奮《こうふん》を与えるのです。私は坐《すわ》っていて変にいらいらし出します。私はあれは親類なのだろうか、それともただの知り合いなのだろうかとまず考えて見るのです。それから若い男だろうか年輩の人だろうかと思案してみるのです。坐っていてそんな事の知れようはずがありません。そうかといって、起《た》って行って障子《しょうじ》を開けて見る訳にはなおいきません。私の神経は震えるというよりも、大きな波動を打って私を苦しめます。私は客の帰った後で、きっと忘れずにその人の名を聞きました。お嬢さんや奥さんの返事は、また極めて簡単でした。私は物足りない顔を二人に見せながら、物足りるまで追窮《ついきゅう》する勇気をもっていなかったのです。権利は無論もっていなかったのでしょう。私は自分の品格を重んじなければならないという教育から来た自尊心と、現にその自尊心を裏切《うらぎり》している物欲しそうな顔付《かおつき》とを同時に彼らの前に示すのです。彼らは笑いました。それが嘲笑《ちょうしょう》の意味でなくって、好意から来たものか、また好意らしく見せるつもりなのか、私は即坐に解釈の余地を見出《みいだ》し得ないほど落付《おちつき》を失ってしまうのです。そうして事が済んだ後で、いつまでも、馬鹿にされたのだ、馬鹿にされたんじゃなかろうかと、何遍《なんべん》も心のうちで繰り返すのです。
 私は自由な身体《からだ》でした。たとい学校を中途で已《や》めようが、またどこへ行ってどう暮らそうが、あるいはどこの何者と結婚しようが、誰《だれ》とも相談する必要のない位地に立っていました。私は思い切って奥さんにお嬢さんを貰《もら》い受ける話をして見ようかという決心をした事がそれまでに何度となくありました。けれどもそのたびごとに私は躊躇《ちゅうちょ》して、口へはとうとう出さずにしまったのです。断られるのが恐ろしいからではありません。もし断られたら、私の運命がどう変化するか分りませんけれども、その代り今までとは方角の違った場所に立って、新しい世の中を見渡す便宜も生じて来るのですから、そのくらいの勇気は出せば出せたのです。しかし私は誘《おび》き寄せられるのが厭《いや》でした。他《ひと》の手に乗るのは何よりも業腹《ごうはら》でした。叔父《おじ》に欺《だま》された私は、これから先どんな事があっても、人には欺されまいと決心したのです。

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