2008年10月31日金曜日

(下)先生と遺書 一

「……私《わたくし》はこの夏あなたから二、三度手紙を受け取りました。東京で相当の地位を得たいから宜《よろ》しく頼むと書いてあったのは、たしか二度目に手に入《い》ったものと記憶しています。私はそれを読んだ時|何《なん》とかしたいと思ったのです。少なくとも返事を上げなければ済まんとは考えたのです。しかし自白すると、私はあなたの依頼に対して、まるで努力をしなかったのです。ご承知の通り、交際区域の狭いというよりも、世の中にたった一人で暮しているといった方が適切なくらいの私には、そういう努力をあえてする余地が全くないのです。しかしそれは問題ではありません。実をいうと、私はこの自分をどうすれば好《い》いのかと思い煩《わずら》っていたところなのです。このまま人間の中に取り残されたミイラのように存在して行こうか、それとも……その時分の私は「それとも」という言葉を心のうちで繰り返すたびにぞっとしました。馳足《かけあし》で絶壁の端《はじ》まで来て、急に底の見えない谷を覗《のぞ》き込んだ人のように。私は卑怯《ひきょう》でした。そうして多くの卑怯な人と同じ程度において煩悶《はんもん》したのです。遺憾《いかん》ながら、その時の私には、あなたというものがほとんど存在していなかったといっても誇張ではありません。一歩進めていうと、あなたの地位、あなたの糊口《ここう》の資《し》、そんなものは私にとってまるで無意味なのでした。どうでも構わなかったのです。私はそれどころの騒ぎでなかったのです。私は状差《じょうさし》へあなたの手紙を差したなり、依然として腕組をして考え込んでいました。宅《うち》に相応の財産があるものが、何を苦しんで、卒業するかしないのに、地位地位といって藻掻《もが》き廻《まわ》るのか。私はむしろ苦々《にがにが》しい気分で、遠くにいるあなたにこんな一瞥《いちべつ》を与えただけでした。私は返事を上げなければ済まないあなたに対して、言訳《いいわけ》のためにこんな事を打ち明けるのです。あなたを怒らすためにわざと無躾《ぶしつけ》な言葉を弄《ろう》するのではありません。私の本意は後《あと》をご覧になればよく解《わか》る事と信じます。とにかく私は何とか挨拶《あいさつ》すべきところを黙っていたのですから、私はこの怠慢の罪をあなたの前に謝したいと思います。
 その後《ご》私はあなたに電報を打ちました。有体《ありてい》にいえば、あの時私はちょっとあなたに会いたかったのです。それからあなたの希望通り私の過去をあなたのために物語りたかったのです。あなたは返電を掛《か》けて、今東京へは出られないと断って来ましたが、私は失望して永らくあの電報を眺《なが》めていました。あなたも電報だけでは気が済まなかったとみえて、また後から長い手紙を寄こしてくれたので、あなたの出京《しゅっきょう》できない事情がよく解《わか》りました。私はあなたを失礼な男だとも何とも思う訳がありません。あなたの大事なお父さんの病気をそっち退《の》けにして、何であなたが宅《うち》を空《あ》けられるものですか。そのお父さんの生死《しょうし》を忘れているような私の態度こそ不都合です。――私は実際あの電報を打つ時に、あなたのお父さんの事を忘れていたのです。そのくせあなたが東京にいる頃《ころ》には、難症《なんしょう》だからよく注意しなくってはいけないと、あれほど忠告したのは私ですのに。私はこういう矛盾な人間なのです。あるいは私の脳髄《のうずい》よりも、私の過去が私を圧迫する結果こんな矛盾な人間に私を変化させるのかも知れません。私はこの点においても充分私の我《が》を認めています。あなたに許してもらわなくてはなりません。
 あなたの手紙、――あなたから来た最後の手紙――を読んだ時、私は悪い事をしたと思いました。それでその意味の返事を出そうかと考えて、筆を執《と》りかけましたが、一行も書かずに已《や》めました。どうせ書くなら、この手紙を書いて上げたかったから、そうしてこの手紙を書くにはまだ時機が少し早過ぎたから、已めにしたのです。私がただ来るに及ばないという簡単な電報を再び打ったのは、それがためです。

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