2008年10月31日金曜日

二十九

「私は思い切って自分の心をKに打ち明けようとしました。もっともこれはその時に始まった訳でもなかったのです。旅に出ない前から、私にはそうした腹ができていたのですけれども、打ち明ける機会をつらまえる事も、その機会を作り出す事も、私の手際《てぎわ》では旨《うま》くゆかなかったのです。今から思うと、その頃私の周囲にいた人間はみんな妙でした。女に関して立ち入った話などをするものは一人もありませんでした。中には話す種《たね》をもたないのも大分《だいぶ》いたでしょうが、たといもっていても黙っているのが普通のようでした。比較的自由な空気を呼吸している今のあなたがたから見たら、定めし変に思われるでしょう。それが道学《どうがく》の余習《よしゅう》なのか、または一種のはにかみなのか、判断はあなたの理解に任せておきます。
 Kと私は何でも話し合える中でした。偶《たま》には愛とか恋とかいう問題も、口に上《のぼ》らないではありませんでしたが、いつでも抽象的な理論に落ちてしまうだけでした。それも滅多《めった》には話題にならなかったのです。大抵は書物の話と学問の話と、未来の事業と、抱負と、修養の話ぐらいで持ち切っていたのです。いくら親しくってもこう堅くなった日には、突然調子を崩《くず》せるものではありません。二人はただ堅いなりに親しくなるだけです。私はお嬢さんの事をKに打ち明けようと思い立ってから、何遍《なんべん》歯がゆい不快に悩まされたか知れません。私はKの頭のどこか一カ所を突き破って、そこから柔らかい空気を吹き込んでやりたい気がしました。
 あなたがたから見て笑止千万《しょうしせんばん》な事もその時の私には実際大困難だったのです。私は旅先でも宅《うち》にいた時と同じように卑怯《ひきょう》でした。私は始終機会を捕える気でKを観察していながら、変に高踏的な彼の態度をどうする事もできなかったのです。私にいわせると、彼の心臓の周囲は黒い漆《うるし》で重《あつ》く塗り固められたのも同然でした。私の注《そそ》ぎ懸けようとする血潮は、一滴もその心臓の中へは入らないで、悉《ことごと》く弾《はじ》き返されてしまうのです。
 或《あ》る時はあまりKの様子が強くて高いので、私はかえって安心した事もあります。そうして自分の疑いを腹の中で後悔すると共に、同じ腹の中で、Kに詫《わ》びました。詫びながら自分が非常に下等な人間のように見えて、急に厭《いや》な心持になるのです。しかし少時《しばらく》すると、以前の疑いがまた逆戻りをして、強く打ち返して来ます。すべてが疑いから割り出されるのですから、すべてが私には不利益でした。容貌《ようぼう》もKの方が女に好かれるように見えました。性質も私のようにこせこせしていないところが、異性には気に入るだろうと思われました。どこか間《ま》が抜けていて、それでどこかに確《しっ》かりした男らしいところのある点も、私よりは優勢に見えました。学力《がくりき》になれば専門こそ違いますが、私は無論Kの敵でないと自覚していました。――すべて向うの好《い》いところだけがこう一度に眼先《めさき》へ散らつき出すと、ちょっと安心した私はすぐ元の不安に立ち返るのです。
 Kは落ち付かない私の様子を見て、厭《いや》ならひとまず東京へ帰ってもいいといったのですが、そういわれると、私は急に帰りたくなくなりました。実はKを東京へ帰したくなかったのかも知れません。二人は房州《ぼうしゅう》の鼻を廻《まわ》って向う側へ出ました。我々は暑い日に射《い》られながら、苦しい思いをして、上総《かずさ》のそこ一里《いちり》に騙《だま》されながら、うんうん歩きました。私にはそうして歩いている意味がまるで解《わか》らなかったくらいです。私は冗談《じょうだん》半分Kにそういいました。するとKは足があるから歩くのだと答えました。そうして暑くなると、海に入って行こうといって、どこでも構わず潮《しお》へ漬《つか》りました。その後《あと》をまた強い日で照り付けられるのですから、身体《からだ》が倦怠《だる》くてぐたぐたになりました。

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