2008年10月31日金曜日

五十三

「書物の中に自分を生埋《いきう》めにする事のできなかった私は、酒に魂を浸《ひた》して、己《おの》れを忘れようと試みた時期もあります。私は酒が好きだとはいいません。けれども飲めば飲める質《たち》でしたから、ただ量を頼みに心を盛《も》り潰《つぶ》そうと力《つと》めたのです。この浅薄《せんぱく》な方便はしばらくするうちに私をなお厭世的《えんせいてき》にしました。私は爛酔《らんすい》の真最中《まっさいちゅう》にふと自分の位置に気が付くのです。自分はわざとこんな真似《まね》をして己れを偽《いつわ》っている愚物《ぐぶつ》だという事に気が付くのです。すると身振《みぶる》いと共に眼も心も醒《さ》めてしまいます。時にはいくら飲んでもこうした仮装状態にさえ入《はい》り込めないでむやみに沈んで行く場合も出て来ます。その上技巧で愉快を買った後《あと》には、きっと沈鬱《ちんうつ》な反動があるのです。私は自分の最も愛している妻《さい》とその母親に、いつでもそこを見せなければならなかったのです。しかも彼らは彼らに自然な立場から私を解釈して掛《かか》ります。
 妻の母は時々|気拙《きまず》い事を妻にいうようでした。それを妻は私に隠していました。しかし自分は自分で、単独に私を責めなければ気が済まなかったらしいのです。責めるといっても、決して強い言葉ではありません。妻から何かいわれたために、私が激した例《ためし》はほとんどなかったくらいですから。妻はたびたびどこが気に入らないのか遠慮なくいってくれと頼みました。それから私の未来のために酒を止《や》めろと忠告しました。ある時は泣いて「あなたはこの頃《ごろ》人間が違った」といいました。それだけならまだいいのですけれども、「Kさんが生きていたら、あなたもそんなにはならなかったでしょう」というのです。私はそうかも知れないと答えた事がありましたが、私の答えた意味と、妻の了解した意味とは全く違っていたのですから、私は心のうちで悲しかったのです。それでも私は妻に何事も説明する気にはなれませんでした。
 私は時々妻に詫《あや》まりました。それは多く酒に酔って遅く帰った翌日《あくるひ》の朝でした。妻は笑いました。あるいは黙っていました。たまにぽろぽろと涙を落す事もありました。私はどっちにしても自分が不愉快で堪《たま》らなかったのです。だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのとつまり同じ事になるのです。私はしまいに酒を止《や》めました。妻の忠告で止めたというより、自分で厭《いや》になったから止めたといった方が適当でしょう。
 酒は止めたけれども、何もする気にはなりません。仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、打《う》ち遣《や》って置きます。私は妻から何のために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞《せきばく》でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。
 同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正《まさ》しく失恋のために死んだものとすぐ極《き》めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易《たやす》くは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋《さむ》しくって仕方がなくなった結果、急に所決《しょけつ》したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄《ぞっ》としたのです。私もKの歩いた路《みち》を、Kと同じように辿《たど》っているのだという予覚《よかく》が、折々風のように私の胸を横過《よこぎ》り始めたからです。

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