2008年10月31日金曜日

十一

「私は早速《さっそく》その家へ引き移りました。私は最初来た時に未亡人と話をした座敷を借りたのです。そこは宅中《うちじゅう》で一番|好《い》い室《へや》でした。本郷辺《ほんごうへん》に高等下宿といった風《ふう》の家がぽつぽつ建てられた時分の事ですから、私は書生として占領し得る最も好い間《ま》の様子を心得ていました。私の新しく主人となった室は、それらよりもずっと立派でした。移った当座は、学生としての私には過ぎるくらいに思われたのです。
 室の広さは八畳でした。床《とこ》の横に違《ちが》い棚《だな》があって、縁《えん》と反対の側には一間《いっけん》の押入《おしい》れが付いていました。窓は一つもなかったのですが、その代り南向《みなみむ》きの縁に明るい日がよく差しました。
 私は移った日に、その室の床《とこ》に活《い》けられた花と、その横に立て懸《か》けられた琴《こと》を見ました。どっちも私の気に入りませんでした。私は詩や書や煎茶《せんちゃ》を嗜《たし》なむ父の傍《そば》で育ったので、唐《から》めいた趣味を小供《こども》のうちからもっていました。そのためでもありましょうか、こういう艶《なま》めかしい装飾をいつの間にか軽蔑《けいべつ》する癖が付いていたのです。
 私の父が存生中《ぞんしょうちゅう》にあつめた道具類は、例の叔父《おじ》のために滅茶滅茶《めちゃめちゃ》にされてしまったのですが、それでも多少は残っていました。私は国を立つ時それを中学の旧友に預かってもらいました。それからその中《うち》で面白そうなものを四、五|幅《ふく》裸にして行李《こうり》の底へ入れて来ました。私は移るや否《いな》や、それを取り出して床へ懸けて楽しむつもりでいたのです。ところが今いった琴と活花《いけばな》を見たので、急に勇気がなくなってしまいました。後《あと》から聞いて始めてこの花が私に対するご馳走《ちそう》に活けられたのだという事を知った時、私は心のうちで苦笑しました。もっとも琴は前からそこにあったのですから、これは置き所がないため、やむをえずそのままに立て懸けてあったのでしょう。
 こんな話をすると、自然その裏に若い女の影があなたの頭を掠《かす》めて通るでしょう。移った私にも、移らない初めからそういう好奇心がすでに動いていたのです。こうした邪気《じゃき》が予備的に私の自然を損なったためか、または私がまだ人慣《ひとな》れなかったためか、私は始めてそこのお嬢《じょう》さんに会った時、へどもどした挨拶《あいさつ》をしました。その代りお嬢さんの方でも赤い顔をしました。
 私はそれまで未亡人《びぼうじん》の風采《ふうさい》や態度から推《お》して、このお嬢さんのすべてを想像していたのです。しかしその想像はお嬢さんに取ってあまり有利なものではありませんでした。軍人の妻君《さいくん》だからああなのだろう、その妻君の娘だからこうだろうといった順序で、私の推測は段々延びて行きました。ところがその推測が、お嬢さんの顔を見た瞬間に、悉《ことごと》く打ち消されました。そうして私の頭の中へ今まで想像も及ばなかった異性の匂《にお》いが新しく入って来ました。私はそれから床の正面に活《い》けてある花が厭《いや》でなくなりました。同じ床に立て懸けてある琴も邪魔にならなくなりました。
 その花はまた規則正しく凋《しお》れる頃《ころ》になると活け更《か》えられるのです。琴も度々《たびたび》鍵《かぎ》の手に折れ曲がった筋違《すじかい》の室《へや》に運び去られるのです。私は自分の居間で机の上に頬杖《ほおづえ》を突きながら、その琴の音《ね》を聞いていました。私にはその琴が上手なのか下手なのかよく解《わか》らないのです。けれども余り込み入った手を弾《ひ》かないところを見ると、上手なのじゃなかろうと考えました。まあ活花の程度ぐらいなものだろうと思いました。花なら私にも好く分るのですが、お嬢さんは決して旨《うま》い方ではなかったのです。
 それでも臆面《おくめん》なく色々の花が私の床を飾ってくれました。もっとも活方《いけかた》はいつ見ても同じ事でした。それから花瓶《かへい》もついぞ変った例《ためし》がありませんでした。しかし片方の音楽になると花よりももっと変でした。ぽつんぽつん糸を鳴らすだけで、一向《いっこう》肉声を聞かせないのです。唄《うた》わないのではありませんが、まるで内所話《ないしょばなし》でもするように小さな声しか出さないのです。しかも叱《しか》られると全く出なくなるのです。
 私は喜んでこの下手な活花を眺《なが》めては、まずそうな琴の音《ね》に耳を傾けました。

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