2008年11月4日火曜日

十五

「「先生先生というのは一体|誰《だれ》の事だい」と兄が聞いた。
「こないだ話したじゃないか」と私《わたくし》は答えた。私は自分で質問をしておきながら、すぐ他《ひと》の説明を忘れてしまう兄に対して不快の念を起した。
「聞いた事は聞いたけれども」
 兄は必竟《ひっきょう》聞いても解《わか》らないというのであった。私から見ればなにも無理に先生を兄に理解してもらう必要はなかった。けれども腹は立った。また例の兄らしい所が出て来たと思った。
 先生先生と私が尊敬する以上、その人は必ず著名の士でなくてはならないように兄は考えていた。少なくとも大学の教授ぐらいだろうと推察していた。名もない人、何もしていない人、それがどこに価値をもっているだろう。兄の腹はこの点において、父と全く同じものであった。けれども父が何もできないから遊んでいるのだと速断するのに引きかえて、兄は何かやれる能力があるのに、ぶらぶらしているのは詰《つま》らん人間に限るといった風《ふう》の口吻《こうふん》を洩《も》らした。
「イゴイストはいけないね。何もしないで生きていようというのは横着な了簡《りょうけん》だからね。人は自分のもっている才能をできるだけ働かせなくっちゃ嘘《うそ》だ」
 私は兄に向かって、自分の使っているイゴイストという言葉の意味がよく解《わか》るかと聞き返してやりたかった。
「それでもその人のお蔭《かげ》で地位ができればまあ結構だ。お父《とう》さんも喜んでるようじゃないか」
 兄は後からこんな事をいった。先生から明瞭《めいりょう》な手紙の来ない以上、私はそう信ずる事もできず、またそう口に出す勇気もなかった。それを母の早呑《はやの》み込《こ》みでみんなにそう吹聴《ふいちょう》してしまった今となってみると、私は急にそれを打ち消す訳に行かなくなった。私は母に催促されるまでもなく、先生の手紙を待ち受けた。そうしてその手紙に、どうかみんなの考えているような衣食の口の事が書いてあればいいがと念じた。私は死に瀕《ひん》している父の手前、その父に幾分でも安心させてやりたいと祈りつつある母の手前、働かなければ人間でないようにいう兄の手前、その他《た》妹《いもと》の夫だの伯父《おじ》だの叔母《おば》だのの手前、私のちっとも頓着《とんじゃく》していない事に、神経を悩まさなければならなかった。
 父が変な黄色いものも嘔《は》いた時、私はかつて先生と奥さんから聞かされた危険を思い出した。「ああして長く寝ているんだから胃も悪くなるはずだね」といった母の顔を見て、何も知らないその人の前に涙ぐんだ。
 兄と私が茶の間で落ち合った時、兄は「聞いたか」といった。それは医者が帰り際に兄に向っていった事を聞いたかという意味であった。私には説明を待たないでもその意味がよく解っていた。
「お前ここへ帰って来て、宅《うち》の事を監理する気がないか」と兄が私を顧みた。私は何とも答えなかった。
「お母さん一人じゃ、どうする事もできないだろう」と兄がまたいった。兄は私を土の臭《にお》いを嗅《か》いで朽ちて行っても惜しくないように見ていた。
「本を読むだけなら、田舎《いなか》でも充分できるし、それに働く必要もなくなるし、ちょうど好《い》いだろう」
「兄さんが帰って来るのが順ですね」と私がいった。
「おれにそんな事ができるものか」と兄は一口《ひとくち》に斥《しりぞ》けた。兄の腹の中には、世の中でこれから仕事をしようという気が充《み》ち満《み》ちていた。
「お前がいやなら、まあ伯父さんにでも世話を頼むんだが、それにしてもお母さんはどっちかで引き取らなくっちゃなるまい」
「お母さんがここを動くか動かないかがすでに大きな疑問ですよ」
 兄弟はまだ父の死なない前から、父の死んだ後《あと》について、こんな風に語り合った。

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