2008年11月4日火曜日

(中) 両親と私 一

 宅《うち》へ帰って案外に思ったのは、父の元気がこの前見た時と大して変っていない事であった。
「ああ帰ったかい。そうか、それでも卒業ができてまあ結構だった。ちょっとお待ち、今顔を洗って来るから」
 父は庭へ出て何かしていたところであった。古い麦藁帽《むぎわらぼう》の後ろへ、日除《ひよけ》のために括《くく》り付けた薄汚《うすぎた》ないハンケチをひらひらさせながら、井戸のある裏手の方へ廻《まわ》って行った。
 学校を卒業するのを普通の人間として当然のように考えていた私《わたくし》は、それを予期以上に喜んでくれる父の前に恐縮した。
「卒業ができてまあ結構だ」
 父はこの言葉を何遍《なんべん》も繰り返した。私は心のうちでこの父の喜びと、卒業式のあった晩先生の家《うち》の食卓で、「お目出とう」といわれた時の先生の顔付《かおつき》とを比較した。私には口で祝ってくれながら、腹の底でけなしている先生の方が、それほどにもないものを珍しそうに嬉《うれ》しがる父よりも、かえって高尚に見えた。私はしまいに父の無知から出る田舎臭《いなかくさ》いところに不快を感じ出した。
「大学ぐらい卒業したって、それほど結構でもありません。卒業するものは毎年何百人だってあります」
 私はついにこんな口の利《き》きようをした。すると父が変な顔をした。
「何も卒業したから結構とばかりいうんじゃない。そりゃ卒業は結構に違いないが、おれのいうのはもう少し意味があるんだ。それがお前に解《わか》っていてくれさえすれば、……」
 私は父からその後《あと》を聞こうとした。父は話したくなさそうであったが、とうとうこういった。
「つまり、おれが結構という事になるのさ。おれはお前の知ってる通りの病気だろう。去年の冬お前に会った時、ことによるともう三月《みつき》か四月《よつき》ぐらいなものだろうと思っていたのさ。それがどういう仕合《しあわ》せか、今日までこうしている。起居《たちい》に不自由なくこうしている。そこへお前が卒業してくれた。だから嬉《うれ》しいのさ。せっかく丹精《たんせい》した息子が、自分のいなくなった後《あと》で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる方が親の身になれば嬉《うれ》しいだろうじゃないか。大きな考えをもっているお前から見たら、高《たか》が大学を卒業したぐらいで、結構だ結構だといわれるのは余り面白くもないだろう。しかしおれの方から見てご覧、立場が少し違っているよ。つまり卒業はお前に取ってより、このおれに取って結構なんだ。解ったかい」
 私は一言《いちごん》もなかった。詫《あや》まる以上に恐縮して俯向《うつむ》いていた。父は平気なうちに自分の死を覚悟していたものとみえる。しかも私の卒業する前に死ぬだろうと思い定めていたとみえる。その卒業が父の心にどのくらい響くかも考えずにいた私は全く愚《おろ》かものであった。私は鞄《かばん》の中から卒業証書を取り出して、それを大事そうに父と母に見せた。証書は何かに圧《お》し潰《つぶ》されて、元の形を失っていた。父はそれを鄭寧《ていねい》に伸《の》した。
「こんなものは巻いたなり手に持って来るものだ」
「中に心《しん》でも入れると好《よ》かったのに」と母も傍《かたわら》から注意した。
 父はしばらくそれを眺《なが》めた後《あと》、起《た》って床《とこ》の間の所へ行って、誰《だれ》の目にもすぐはいるような正面へ証書を置いた。いつもの私ならすぐ何とかいうはずであったが、その時の私はまるで平生《へいぜい》と違っていた。父や母に対して少しも逆らう気が起らなかった。私はだまって父の為《な》すがままに任せておいた。一旦《いったん》癖のついた鳥《とり》の子紙《こがみ》の証書は、なかなか父の自由にならなかった。適当な位置に置かれるや否《いな》や、すぐ己《おの》れに自然な勢《いきお》いを得て倒れようとした。

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