2008年11月4日火曜日

三十五

 私《わたくし》は立て掛けた腰をまたおろして、話の区切りの付くまで二人の相手になっていた。
「君はどう思います」と先生が聞いた。
 先生が先へ死ぬか、奥さんが早く亡くなるか、固《もと》より私に判断のつくべき問題ではなかった。私はただ笑っていた。
「寿命は分りませんね。私にも」
「こればかりは本当に寿命ですからね。生れた時にちゃんと極《きま》った年数をもらって来るんだから仕方がないわ。先生のお父《とう》さんやお母さんなんか、ほとんど同《おんな》じよ、あなた、亡くなったのが」
「亡くなられた日がですか」
「まさか日まで同じじゃないけれども。でもまあ同じよ。だって続いて亡くなっちまったんですもの」
 この知識は私にとって新しいものであった。私は不思議に思った。
「どうしてそう一度に死なれたんですか」
 奥さんは私の問いに答えようとした。先生はそれを遮《さえぎ》った。
「そんな話はお止《よ》しよ。つまらないから」
 先生は手に持った団扇《うちわ》をわざとばたばたいわせた。そうしてまた奥さんを顧みた。
「静《しず》、おれが死んだらこの家《うち》をお前にやろう」
 奥さんは笑い出した。
「ついでに地面も下さいよ」
「地面は他《ひと》のものだから仕方がない。その代りおれの持ってるものは皆《みん》なお前にやるよ」
「どうも有難う。けれども横文字の本なんか貰《もら》っても仕様がないわね」
「古本屋に売るさ」
「売ればいくらぐらいになって」
 先生はいくらともいわなかった。けれども先生の話は、容易に自分の死という遠い問題を離れなかった。そうしてその死は必ず奥さんの前に起るものと仮定されていた。奥さんも最初のうちは、わざとたわいのない受け答えをしているらしく見えた。それがいつの間にか、感傷的な女の心を重苦しくした。
「おれが死んだら、おれが死んだらって、まあ何遍《なんべん》おっしゃるの。後生《ごしょう》だからもう好《い》い加減にして、おれが死んだらは止《よ》して頂戴《ちょうだい》。縁喜《えんぎ》でもない。あなたが死んだら、何でもあなたの思い通りにして上げるから、それで好いじゃありませんか」
 先生は庭の方を向いて笑った。しかしそれぎり奥さんの厭《いや》がる事をいわなくなった。私もあまり長くなるので、すぐ席を立った。先生と奥さんは玄関まで送って出た。
「ご病人をお大事《だいじ》に」と奥さんがいった。
「また九月に」と先生がいった。
 私は挨拶《あいさつ》をして格子《こうし》の外へ足を踏み出した。玄関と門の間にあるこんもりした木犀《もくせい》の一株《ひとかぶ》が、私の行手《ゆくて》を塞《ふさ》ぐように、夜陰《やいん》のうちに枝を張っていた。私は二、三歩動き出しながら、黒ずんだ葉に被《おお》われているその梢《こずえ》を見て、来たるべき秋の花と香を想《おも》い浮べた。私は先生の宅《うち》とこの木犀とを、以前から心のうちで、離す事のできないもののように、いっしょに記憶していた。私が偶然その樹《き》の前に立って、再びこの宅の玄関を跨《また》ぐべき次の秋に思いを馳《は》せた時、今まで格子の間から射《さ》していた玄関の電燈がふっと消えた。先生夫婦はそれぎり奥へはいったらしかった。私は一人暗い表へ出た。
 私はすぐ下宿へは戻らなかった。国へ帰る前に調《ととの》える買物もあったし、ご馳走《ちそう》を詰めた胃袋にくつろぎを与える必要もあったので、ただ賑《にぎ》やかな町の方へ歩いて行った。町はまだ宵の口であった。用事もなさそうな男女《なんにょ》がぞろぞろ動く中に、私は今日私といっしょに卒業したなにがしに会った。彼は私を無理やりにある酒場《バー》へ連れ込んだ。私はそこで麦酒《ビール》の泡のような彼の気※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《きえん》を聞かされた。私の下宿へ帰ったのは十二時過ぎであった。

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