2008年11月4日火曜日

二十七

 私《わたくし》はすぐその帽子を取り上げた。所々《ところどころ》に着いている赤土を爪《つめ》で弾《はじ》きながら先生を呼んだ。
「先生帽子が落ちました」
「ありがとう」
 身体《からだ》を半分起してそれを受け取った先生は、起きるとも寝るとも片付かないその姿勢のままで、変な事を私に聞いた。
「突然だが、君の家《うち》には財産がよっぽどあるんですか」
「あるというほどありゃしません」
「まあどのくらいあるのかね。失礼のようだが」
「どのくらいって、山と田地《でんぢ》が少しあるぎりで、金なんかまるでないんでしょう」
 先生が私の家《いえ》の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑《うたぐ》った。その後もこの疑いは絶えず私の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨《あらわ》な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えていた。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」
「私は財産家と見えますか」
 先生は平生からむしろ質素な服装《なり》をしていた。それに家内《かない》は小人数《こにんず》であった。したがって住宅も決して広くはなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは贅沢《ぜいたく》といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家《うち》でも造るさ」
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐《あぐら》をかいていたが、こういい終ると、竹の杖《つえ》の先で地面の上へ円のようなものを描《か》き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直《まっすぐ》に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」
 先生の言葉は半分|独《ひと》り言《ごと》のようであった。それですぐ後《あと》に尾《つ》いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むしろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他《よそ》へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替《かわせ》と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟《しゅせき》であったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫《ふる》えが少しも筆の運《はこ》びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好《い》いんでしょう」
「好《よ》ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」
「そうですか」
 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない私は無論そこに気が付くはずがなかった。

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